中田敦彦講演会 in 高槻 に行ったら気持ちが高ぶったため、まとめてみた!!part 1
どうも、最後にテレビで衝撃を受けたのはオリラジあっちゃんこと中田敦彦先生のしくじり先生を観た時でした!!
そのプレゼンマスターである、中田先生が関西に来るという事で、行ってまいりました!
結論
控えめに言っても最高でした。
中田先生が、何故、武勇伝をしたのか?
パーフェクトヒューマンをしたのか?
服を売っているのか?
全てを語ってくれましたので、まとめたいと思います。
中田先生が伝えたかったことは
「追い詰められ力」「諦めない力」「図々しさ力」
【 武勇伝が出来るまで 】
中田先生は常に追い詰められてたのだ。
中田先生はお笑いが好きだった。
そして、世間もお笑いブームで「めちゃイケ」が視聴率20%を叩き出し、芸人達も年収が何十倍になったなどTVで盛り上がっていた。
しかし、親はガチガチの堅い人で堅実なサラリーマンになって欲しかった。
しかし、中田先生は思った
「リスクを取らないと大きなリターンは得られない」と。
数年してダメだったらサラリーマンをするということで、お父さんを納得させてお笑いの道を進むこととなる。
相方はバイト先で知り合った藤森さんだ。
藤森さんに誘われる(とりあえずTVに出てみたかった)形で吉本に入る。
詳しい話は
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ここに書いてあるので参照していただきたい。
何故、武勇伝が生まれたのか?
ちなみにこの時に中田先生は100本ものネタを書いていた。
そして、漫才を講師に見せるも、そこまでいい評価は得られなかった。
何故なら、関西育ちと違ってお笑いに触れ合う機会が2人とも少なかったためだと言われていた。特に藤森さんはお笑いなんて、中田先生の学生時代に行った学園祭の漫才が初めてだったそう。
ボクシングで例えるなら、関西はストリートファイトのようなものだけど、オリラジは学生時代からボクシングを始めたようなもの。
正当法では、なかなか勝てなかった。
そこで藤森さんが
「コレ面白いからやろう!!」
と言って、中田先生が当時作ったネタの中田伝説(後の武勇伝)を指した。
コレは、ネタの中でも優先順位で低かったそうだ。
こんなネタしたらNSCの講師の先生に絶対怒られる。
しかし、中田先生は追い詰められていた。
藤森さんに押される形でネタ披露した。
コレがウケた!!
藤森さんもテンポがいいし、印象に残ったのだ。
そして、そのネタに合わせる形でデンデン言いながら登場する形となったそうだ。
Mー1準決勝まで最速で上り詰め、エンタの神様で脚光を浴びることになった。
【 チャラ男が出来るまで 】
しかし、それからというもの、さらに追い詰められていた。
デビュー3年目で冠番組を何個も持つようになった。
しかし、次々と番組が終わっていってしまう。
それには2つ理由があると中田先生は言っている。
1つは実力不足
もう1つは、TVを観る世代が変わってきているため。
今、テレビをつけると番組に出ている出演者は、中田先生より上の世代がほとんど。
番組の内容も「健康番組」や、「あの人は今」というような番組が多くなっている。
「あの人の今」で話されている人も僕たち世代ではピンとこないのだ。
つまり、TVを観る世代が上になっているのだ。
宇治原さん
とクイズ対決をすることが増えた。
その頃、藤森さんは仕事がなかった。
何をしていたかというと
一生懸命、コンパにカラオケを頑張っていたのだ!!
追い詰められてた藤森さんが一生懸命したコンパやカラオケが開花したのだ!!
最後に残ったコンパやカラオケが後の仕事がチャラ男となった。
中田先生は言う。
「追い詰められた時、最後に残ったものを抱きしめてあげて下さい。最後に残ったものが個性になるんです。」
チャラ男としてあやまんジャパンと一世風靡することとなる。
ちなみにこの頃めちゃくちゃ藤森さんが好きで観に行ったりもしてました。
「サンキューでぇ〜す!!」「君かわうぃ〜ね〜!!」
なんて、
今でも使わせてもろてます(てへぺろ)
【 perfect human が出来るまで 】
そこから、ブレイクして2人にバラエティのレギュラーが増えた。
安定してきていたのだ。
しかし、安定してくると何かを失う。
安定するとストーリーが見えなくなる!!
何かに立ち向かうことで人は応援したくなるとのこと。
ライブに来るファンが減っていたのだ。
そこで、中田先生は新しい挑戦をしようとする。
それが、
「音楽」
アーティストは人が呼べるし、挑戦してみたいと思ったとのこと。
三代目J soul brother's みたいになりたいと思った。
そこで中田先生は思った。
「口パクをしよう」
プロの歌声をアフレコであてると、もうそれはプロのアーティストだと、、、
それをライブでやるとファンからは
大顰蹙!!
何故なら
しかし、中田先生は諦めない!!
次に考えたことが、加工だ。加工で中田先生の声をうまくしてもらおうとしたが、
加工にも限界があった。
中田先生の歌声を上手く加工出来なかったのだ。
ここでも、追い詰められていた。
三代目になりたい自分、足を引っ張ってしまっているのも自分、、、
「そうだ!!サビだけ出よう!!」
ただ、いきなりサビだけ出てしまうと邪魔になってしまう。じゃあ、邪魔にならないようにサビだけ出るにはどうしたらいいか。
「自分の歌にしよう!!中田中田と言って出て行くのなら邪魔にならない」
つまり図々しくいったのだ。
そうやって出来たのが
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perfect human だ!!
【 まとめ 】
三代目になりたいけど、1番邪魔になっているのは自分。そこで追い詰められていた!!
だけど諦めなかった!!どうにかして方法を考えた。
そして、邪魔だけどグループに居させてくれという図々しさ!!そこで自分の歌でサビだけ出たいということで自分の歌にした。
この3つによって、大ヒット作の perfect human が出来たのだ。
中田先生がパッと思い浮かんで出来たのかと思ったが、こういう苦労の末に生まれた作品だったんだ。
次回、「何故、アパレルショップを立ち上げたのか?」についても記載します!!
また、中田先生のオンラインサロンは近くで熱いオモイが聞けるのでオススメです。
最後まで、おおきにでした。
あたおかでした。